岡村靖幸

岡村靖幸「できるだけ純情でいたい」解説

2004年にリリースされた「Me-imi」から実に12年ぶりにリリースされた岡村靖幸待望のオリジナルアルバム「幸福」。週間オリコンチャートでなんと3位を記録。

岡村靖幸の長いキャリアの中でも1.2を争う好成績なのではないだろうか?嬉しい限りだ。でも、これは奇跡とかじゃなくて、岡村靖幸が「エチケット」で復活してから、毎日めげることなく地道に積み上げてきた日々の努力が実った結果だと思う。

もちろん、岡村靖幸の周りのスタッフやメンバーのサポートによるものも大きいだろうが、結局は本人次第だ。周りがどんなにお膳立てしても本人のやる気が萎えていればそこで、おしまいだ。

どん底の状態から「幸福」のリリースまで漕ぎ着いた、岡村靖幸自身の「しぶとさ」「したたかさ」は本当に尊敬に値する。すごいな、この人って思う。

本日の記事では記念すべき7枚目のオリジナルアルバム「幸福」のオープニングナンバーを飾る「できるだけ純情でいたい」について書く。

没入感がすごい

小説を読んでいて心地よい瞬間は、その物語のなかに完全に入り込んでいる時だ。その世界の太陽の光や空気や匂いや登場人物の心の機微まで脳内で繰り広げられる。実際は活字を読んでいるだけなのに…。

いわゆる没入感というやつ。ふと、気がつけば3時間くらいぶっ続けに読んでいて、日が暮れて部屋はすっかり暗くなっているみたいな…。

こういう、創作物によって世界観に引き込まれる感覚っていうのが僕は好きなんだけど、「できるだけ純情でいたい」は音楽でありながら没入感的な作用がある。

冒頭の雨と雷の音からはじまり「聖書」を彷彿とさせる印象的なベースの入り。僕の脳内では完全に都会の夜の雨って感じだ。で、都内の高層メンション。窓から見える東京の街を黒く濡らす不穏な雨。君に逢いたくなって本降りの雨の中、車を走らせる。

際立った世界観があり没入感がスッバらしい。

イケナイコトカイとちょっと似てる?

歌詞は「イケナイコトカイ」と似ている部分がある。

  • 「逢いたい逢いたい逢いたい」
  • 「したいしたいしたい」

は「イケナイコトカイ」の

  • 「彼女のLOVE SEX KISS 朝からずっと待ってる」

っぽくて「岡村ちゃんなーんにも成長してないじゃん」と一瞬思ってしまったが、これはあくまでも「歌詞だけ」見た場合だ。

曲全体を総合的に眺めると「できるだけ純情でいたい」は随分と熟成された大人の雰囲気で満ちている。「イケナイコトカイ」は青臭さが少々ある。どちらもその時代の年齢の岡村靖幸にしか作れない曲といえるだろう。

曲調

ミディアムな曲調と岡村靖幸の凝りに凝ったリズム隊のサウンドが岡村靖幸ワールドを形成している。

どこか重苦しく抑圧された感が漂っているが、サビの「降臨してよ 瞬間で」のフレーズから突如開放的で不思議なステージへと突入する。

これ、癖になる。間奏ではアコースティックギターのソロプレーも用意されてるし、音楽的な詰込みが濃密だ。曲の終わりに冒頭のAメロを持ってくるのも短編小説的な手法のようで洒落ている。

歌詞について

「できるだけ純情でいたい」というタイトルからもわかるようにこれは岡村節炸裂だ。まず初めの歌詞が

激しい夜交わした 疚しい気がしだした

この時点で本当に面倒くさい男ですよ、岡村ちゃんは。

「激しい夜交わした 最高にハッピー」

でいいではないか。世の中の99.9パーセントの男は「苦しいほどいい女」と「激しい夜交わした」らそれだけで「幸福」な気持ちにきっとなるはず。

しかし、我らが岡村ちゃんは「疚しい気がしだしちゃう」わけだ。

ちなみに「疚しい(やましい)」とは「良心がとがめる」という意味。

つまり

「激しい夜を交わして 良心の呵責に苛まれる」

もっと嚙み砕いていえば

好きな女性とエッチしたけど、なんか悪いことをしてしまったようで罪悪感がいっぱい


という意味だ。
50歳を超えてのこのような感情が沸き起こるのは…さすがである。

「やましいたましい」と「できるだけ純情でいたい」の共通項

「やましいたましい」という曲がある。

1996年にリリースされた「ハレンチ」のカップリング曲だ。

オリジナルアルバムには収録されていないので知らない方も多いかもしれないが、この曲の歌詞は上記の「なんか悪いことをしてしまったなぁ」という感情の由来はどこにあるのか?を理解する上で大きな手助けをしてくれる。

「やましいたましい」の歌詞を一部引用する。

大人はどうして 子供を育て
愛情注ぎ寝顔を見るの?

でもちょっと待ってよ
今こんなことが

俺にできないのは
なぜだろう?

(中略)

汚れた純情 NO
浅ましいプライド NO NO

だ・だ・だ・だけど
そんなことから
逃れられない俺がいる

大人は当たり前のように結婚して子供を授かり無償の愛を注ぐ。この曲は1996年リリースだから現在ほど晩婚化・少子化は進んでいなかっただろう。

だから、当たり前のようにみんな結婚して子供を育てていることに、岡村靖幸は違和感があったのではないだろうか?

違和感というか「結婚して子供作るってハードル高くね?」という感じだろうか。

しかも「自己犠牲して子供に愛情注ぐってなかなかできることじゃなくね?」っていう。

なんでみんなそんなすごいこと出来てるの?俺にはできないよ?

というような感情を経由した結果「激しい夜交わした」→「疚しい気がしだした」になる。

そして「汚れた純情 浅ましいプライド そんなことから 逃れられない俺がいる」

からこそ、

「(それならせめて)できるだけ純情でいたい」となるわけだ。

「できるだけ」というのがポイントだ。自分という人間の逃れられない本質を把握出来ていているからこそ、そこには、ある種の諦観とペシミズムがある。

でも、それでも「できるだけ純情」になりたい、と岡村靖幸は思う。

「願い叶うのならば真心ノックしたい」というのも非常にプラトニックであり、岡村靖幸らしい。

というわけで、本日の記事では「幸福」の記念すべきオープニングナンバー「できるだけ純情でいたい」についての解説でした。

追記

懐かしいなー、この感じ。

POSTED COMMENT

  1. uco より:

    再開してくださって嬉しいです!どうぞ楽しんでブログを書いてくださいね。共感したり、シン発見しながら私も楽しませていただきます。

    • yuji より:

      ucoさんお久しぶりです。コメントありがとうございます。
      シン発見!(笑)してください。

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