すぎやまこういち氏が亡くなった。享年90歳。
すぎやまこういちといえば、「ドラゴンクエスト」の楽曲を担当している作曲家である。
1980年代前半生まれの僕にとって「ドラゴンクエスト」は数あるテレビゲームのうちの一つではなく、特別な意味を持っている。
中川翔子は
- 「人生はドラクエが教えてくれた」
- 「ドラクエを義務教育に」
などと言っているが、子供のころからドラクエをプレイしながら育ってきた我々の世代にとって、この中川翔子の発言は決して素っ頓狂な妄言ではない。
ドラクエをプレイすれば人生の様々な局面で応用できる。ドラクエには人生を強く生きるためのヒントがふんだんに隠されている。
例えば、
ボスに挑戦してボロ負けした時→努力(レベル上げする)の必要性。
新しいフィールドに足を踏み入れたら強い敵がバンバン出てきて全滅しかけた時→井の中の蛙
ダーマ神殿で転職したらステータスが弱くなったけど、長い目で見れば強くなることを知った時→長期的な視野
レベルが上がり強くなったつもりでも、武器防具をすべて取られたら弱くなってしまう時→うぬぼれるな
武器防具を買うタイミング→必要な投資を見極める
レアアイテム「せかいじゅの葉」を使うタイミング→判断力
ダンジョンの奥まで進んで目の前にボスがいるけどMPがないので引き返す時→冷静な判断
はぐれメタルが現れた時→チャンスを逃すな
ビアンカとフローラどちらを選ぶか?→決断力
石造にされた時→不条理
奴隷にされた時→不条理
どんなにレベルを上げても少年期にゲマを倒せない→不条理
主人公なのに伝説の剣を装備できない→不条理
冒険の書が消えてしまった時→不条理
ドラクエを全クリすれば、それがゲームとはいえひとつの成功体験となり、どんなに辛い状況でも「諦めないで立ち向かえばなんとかなる」という信念を抱くことが出来る。と、同時にどんなに頑張ってもどうしようもならないこともあるという不条理も学べる。
- 堀井雄二の秀逸なシナリオ
- 鳥山明の抜群のキャラクターデザイン
- そして「ドラゴンクエスト」の世界に鮮やかな色彩を与えてくれるのがすぎやまこういちの楽曲。
この3人には感謝です。「ドラゴンクエスト」を生み出してくれてありがとうございました。
ドラクエの人…だけじゃなかった!
冒頭で書いたようにすぎやまこういちといえばドラクエの人だ。しかし、今回の訃報を受けてすぎやまこういちのウィキペディアを見てみたら、ものすごい経歴の人だった。
まず、驚いたのはすぎやまこういちが東大出身だったこと。さらには開局したばかりのフジテレビに入社。
東大→フジテレビ
って超エリートである。
そして、フジテレビでは「ザ・ヒットパレード」を企画し大ヒット。
フジテレビ退社後は、作曲家として沢田研二がボーカルの「ザ・タイガース」や「ザ・ピーナッツ」に楽曲を提供。
他にも「亜麻色の髪の乙女」や「帰ってきたウルトラマン」の主題歌など誰もが知るヒット曲を連発している。
つまり、ドラクエの楽曲を担当する以前の段階で超大御所なのだ。
先見の明がすごい
ちなみにドラゴンクエストの1作目は1986年だから、当時で既に55歳である(現在の岡村靖幸とほぼタメ)。
これって、凄いことだと思う。
「ドラゴンクエスト」の発売当初はそもそもゲーム音楽というジャンル自体がまだ確立されていなかった時代である。テレビゲーム市場がこの先発展していくのかもまだ誰もわからない時代に55歳の大御所が楽曲を担当するってすごい。
ドラクエ誕生から35年後
そして、35年後。
東京オリンピックの開会式でドラクエのファンファーレが流れるわけだ。
すぎまやまこういち。享年90歳。偉大なり!
以前、音楽に詳しい友人に「すぎやまこういちのクラシックが好きだ」と言ったら「すぎやまこういちはバルトークからの影響が強いから一度聞いてみたら?」と言われた。で、聴いてみたのだが、「すぎやまこういち>>>>超えられない壁>>>~>>>バルトーク」だったなぁ。
ずっと更新がありませんが、お元気でお過ごしでしょうか?