1999年にリリースされたGLAYの「サバイバル」という曲をご存じだろうか?
1999年といえば、GLAYが幕張メッセで20万人ライブを行った年である。
つまり、飛ぶ鳥を落とす勢いだったGLAYの全盛期にリリースされた曲が「サバイバル」なのだ。
故に、売れた。オリコンのシングルチャートでは1位を記録した。
しかし、「サバイバル」はCDという形態でリリースされた曲ではない。
ビデオシングルという特殊な形態でリリースされた。
MV(当時はPVという呼称だったが…)をVHSでリリースした。
だから、本来ならオリコンのシングルチャートにはランキングされないはずなのだが。そこは当時のGLAYの勢いもあり、特例としてシングルチャートにランキングされた。
ウィキペディア情報によると
オリコンのWEBの過去チャート(例:初登場で1位を獲得した週のページ)では「サバイバル」は一切表記されておらず、チャートインした順位が欠番となり「サバイバル」の存在も消されている。
GLAYは割と好きなので今でもよく聴くのだが、「サバイバル」のアニメ映像は一度も見たことがなかった。
先日、Apple Musicで「サバイバル」のアニメ映像を何の気なしに視聴したのだが、
なるほど。そういうことだったのか
と合点がいった。
- なぜ、CDではなく、ビデオシングルにしたのか?
- なぜ「サバイバル」という曲名なのか?
- 1999年という時代にこの曲をリリースした意味は?
- 「サバイバル」でTAKUROが伝えたかったこととは?
などのクエッションの答えがこのMVに集約されている。
あんなに売れまくっていた時代でもちゃんと冷静に時代を見据えていたのだな、と感心した。
バブルの好景気でみんなが浮かれている時代に尾崎豊が「核(CORE)」という曲で
俺がこんな平和の中で怯えているけれど
何もかも 元もままに見えるけれど
見えないかい 聞こえないかい 愛なんて口にできない
抱きしめて 愛してる 抱きしめていたい それだけなのに
と、冷静にバブルの日本の行く末に違和感を呈していたように、「サバイバル」という曲も90年代の浮ついた空気感に歌を通して何かできないかと模索する姿勢が感じられる。
では、サバイバルのアニメMVの内容を簡単に解説する。
主人公は女子高生のギャル。
ルーズソックスに派手なメイク、授業中に「たまごっち」をしてカラオケで盛り上がって、ディスコで踊って…と。調子に乗って遊びまくる女子高生。
90年代のコギャルの生意気な感じが上手く演出されている。
「うちら無敵じゃん?怖いものなしじゃん?」的な態度のギャル。
ギャルが道を歩いていると前方に小さな少年三人組がいる。
ギャルは少年なんて、まるで眼中にないかのように避けることもなくズカズカと歩いていく。
このままでは少年たちにぶつかってしまうというところで、ギャルの体は少年たちをすり抜けてしまうという超常現象が起こる。
何が起こったのか理解できず驚くギャル。
そこからは抽象的な映像世界に入る。
夜の治安の悪い高架下を一人もうろうとした表情で歩くギャル。
周りにはカツアゲされ暴力を振るわれる男やそれをタバコを吸って平然と見ている女や激しくキスをするカップルなどがいる。
やがて、お酒の入ったコンテナを倒しギャルは地面に倒れる。お酒の入っている瓶が割れ、お酒の水溜りが出来る。それを見てギャルを思い出す。
以前、少年三人組が水溜りを囲んで遊んでいたことを。
ギャルはその水溜りを避けることなくバシャンと踏みつけゴミを捨てたことに。
悲しんでいた少年たちの顔を思い出し、ギャルは涙を流す。
また、しばらく抽象的な映像がながれ
最後は憑き物が取れたかのようなさっぱりとしたギャルが登場。例の少年たちとバスケをする。
ギャルがシュートを決めたところでMVは終了。
90年代後半に中学高校時代を過ごした筆者からすると、「コギャル」やら「たまごっち」やら「おやじ狩り」やら「ルーズソックス」があったこの時代にティーンネイジャーとして生きることはなかなかきつかった。
特に僕なんかは尾崎豊が好きな純真で神経質な青年だったので余計に生きずらかった。
GLAYはそんな平成の世を生きることを「サバイバル」とし、何とかして生き残ろうというメッセージを送っている。
そして、このメッセージを送るためにはアニメ映像が必要だったのだろう。曲だけでは伝わらないだろう、と。
現に僕は「サバイバル」を曲としては何十回も聴いたが、今回初めてアニメ映像を見て
「こういうことだったのか!」
と理解できた。
というわけで、今回の記事はGLAYの「サバイバル」についてでした。曲は聴いたことあるけどアニメのMVは観たことないなーという人はぜひ、一度視聴しみてはいかがでしょうか?何か感じるものがある秀逸なMVです。
追記
コロナが収束したらGLAYのライブに行ってみたいなぁ。
そういえばいまはPVではなくMVですね。いまだにPVと言っちゃってますね僕。「サバイバル」の”MV”は初めて見ましたけれど、まず映像クオリティに驚きました。なかなかにリアリティーの作画で監督が森本さんと知って納得です。また99年ってちょうどセル画からデジタルへ移行の黎明期で、デジタルの色彩設定に慣れていない独特な画面が薄くて暗い感じが懐かかったです。
なんといってもルーズソックスですね、まさにコギャルの象徴です。90年代=コギャルというイメージですけど、実際にはみんなそうといことではないですしそれはいつの時代もそうで、80年代はヤクザみたいな高校生とか怖い不良少女なんかもいたんですね。10年位前だって、茶髪で見えちゃうって位のミニスカートの女子高生とセーラー服の古風な女子高生が同じ電車にいたりして、こういうのは変わらないなぁと思いました。
意外と見る機会のなかった映像ですよね。クオリティ高くて驚きました。
僕もPV派です。あと、アーティストではなくミュージシャンと呼びたい派ですね。
確かにコギャルってクラスに1人か2人くらいしかいなかったように記憶しています。少数派なんですけどインパクトが強烈すぎるのでしょうね。