靖幸? 俺の知ってる靖幸はね・・・・・・(笑)ちょっと俺、靖幸のことほとんど知らないんですけど・・・・・・以前TVの「ジャスト・ポップ・アップ」で一緒になったことぐらいかな。その時にしても会話らしい会話も交わしていませんし。挨拶はさせていただきました。一応僕も礼節を重んじるタイプなんで。ホント、挨拶だけなんですけど、ただ、いきなり・・・・・・何かカメラ・テストみたいなものをやっていたんですけど・・・・・・いやもうキメまくって「アォ!!」とかってやってた姿が、僕のなかの唯一の靖幸のイメージなんですけど・・・・・・それしか本当に・・・・・・あ、あとそうだ、リハーサルか本番か忘れましたけど、小さいキーボードみたいなものを持ってきて「スウィート・メモリーズ」をうたいますって、うたってたのも覚えてます。強烈なインパクトでしたね。とにかく、これからも、いつまでも「ちょいとひと踊り」の精神を忘れずにいてほしいですね。なんて。ねぇ、靖幸。
月刊カドカワ(1992年10月号)
「月刊カドカワ」で岡村靖幸特集が組まれた時、小山田圭吾が岡村靖幸に送ったメッセージである。
というわけで、小山田圭吾氏である。
世間的にはそれほど知名度の高い方ではないので、今回の件で初めて小山田圭吾という人物を知った方も多いだろう。
ただ、サブカル界では有名な方で、いわゆる、岡村靖幸とか小沢健二とかフジファブリックとか毛皮のマリーズとかくるりとか…まぁ、その辺の音楽を好む人たちの間では、有名…というかレジェンド級の大御所である。
本ブログの読者で小山田圭吾が好きな方は多いことでしょう。今回の記事では小山田圭吾をディスってますので注意してください。
小山田圭吾を知ったのは
僕が小山田圭吾を認識したのは、おそらく小沢健二がきっかけだったと思う。ソロのオザケンから入り
「どうやら、オザケンは昔フリッパーズギターというバンドをやっていたらしい」
という情報を得て、オザケンの相方として小山田圭吾を知った。知ったのとほぼ同時に小山田圭吾が学生時代に身体障害者をいじめていたという想像以上の非道なエピソードも知った。
世の中には頭のおかしい人がいる。
殺人者だっている。
そういう人たちがこの世に存在するのはどうしようもない。
出来ることは近づかないこと。それしかない。
それ以降、小山田圭吾については、一定の距離を保ち、なるべく無関心でいようと思った。
僕の好きなアーティストであるhideが小山田圭吾と対談しリミックスに携わったり、岡村靖幸のアルバムに小山田圭吾がギターで参加したりしている。
そんな、交流を見ると一瞬残念な気持ちにはなったが、深くは考えないようにしていた。
そもそもなぜこんな発言をしたのか
2021年現在であれば、どんなに尖ったアーティストでも音楽雑誌のインタビューでこんな発言はしないし、発言したところで掲載されない。
では、なぜ、当時(90年代中期)のロッキンオンジャパンとクイックジャパンでは掲載されたのか?
考えられる理由は主に二つ。
一つは、それが許容される時代だったということ。もちろん、苦情の手紙などは届いただろうが、当時はネットがないので、炎上する「場」自体がなく、それほど大事にはならなかったのだろう。
メディアの規制が緩く、地上波のゴールデン番組でポロリがあったような時代である。日曜日の真昼に生放送でアイドルの生着替えがあった時代である。今では考えられない緩さがあった。
もうひとつは、90年代にサブカルの一つのジャンルとして流行った鬼畜系、あるいは悪趣味系というジャンルの影響。
いわゆる、エログロや死体写真や奇形や薬物など反道徳的なものを楽しむ…あるいは「こんなのを楽しんじゃってる俺スゲーじゃん?」的なブームが時代背景としてあった。
あえて、小山田圭吾氏を擁護すれば
小山田圭吾がいじめをしたのは十代の頃の話だ。未成年の頃の話だ。
十代の頃なんて誰だって未熟だ。
もしかしたら、ちょっとした、きっかけで自分がいじめの被害者になってしまう可能性だってあるのだから、仕方がない。
自分の学生時代の頃を思い出せば明瞭だが、誰もが危ういほどに未熟だったはず。自分の胸に手を当てて考えてみよう。小山田圭吾を本当に攻める権利があるのだろうか?と。
いじめの経験を音楽雑誌で「いじめ自慢」のようにペラペラしゃべるのはヒドイ話だ。
しかし、上述したような、メディアの規制の緩さや鬼畜系ブーム。
90年代特有の殺伐とした空気感(援助交際、ブルセラ、おやじ狩り、サリン事件など)で形成された時代背景を考慮すれば、許容されてもおかしくなかったのかもしれない。
というか現実問題として許容されたのだ。
なぜなら、この問題のインタビュー後も小山田圭吾は何事もなかったかのように音楽活動を続け、海外でも評価されクールジャパンを代表するアーティストの一人にまでなったのだから。
また、このような過激な発言をすることで「天才肌の異端なアーティスト」というブランディングの要素があったのかもしれない。だから仕方がない…。
シンプルにバカでしょ
しかし、だ。
今回、「東京オリンピック・パラリンピックの開会式の作曲担当」というオファーを受けた時点で小山田圭吾は
今現在も、どうしようもないクズのまま
だということが図らずも判明した。
過去に、障害者を非道にいじめ、それをセカンドレイプ的に音楽雑誌で日本中に広めた。
もし、反省しているのなら、「東京オリンピック・パラリンピック」に関わる仕事は断るのが当たり前。
いや、仮に100歩譲って反省していなくても、過去に自分がした罪の深刻さを理解していれば、
「自分はパラリンピックに関わったらダメな人間なんだ」
という思考に至るのが正常だ。
もし、自分が東京オリンピック・パラリンピックのオファーを受ければ、今回のように大炎上することは自明の理であり、予想できていたはず。
つまり
反省もしていない上に、シンプルにバカ
ということだ。
小山田圭吾を選考した組織委員会について
小山田圭吾と同じくらいバカなのが橋本聖子会長率いるオリンピック組織委員会だ。なんで、小山田圭吾にオファーをしたのだろう?「過去のいじめについては知らなかった」と話しているが、本当に知らなかったのなら情報収集能力が低すぎる。だって、有名な話だもの。
というか知らなかったというのは嘘だ。
知っていたにもかかわらず、
昔のことだから大丈夫でしょ
という判断のもとにGOサインが出たのだろう。
「小山田圭吾は海外でも評価されているらしい」という薄い情報を頼りに、オファーしたのだろう。
小山田圭吾を選んどけば、
「なんかセンスがあるように思われそう」
みたいな安易な考えが見え隠れする。
ラーメンズの小林賢太郎が閉会式のディレクターというのも、コバケン選んどけばセンスあると思われるらしいかもよというフワフワとした情報をもとに選考したのだろう。ま、コバケンの選考は結果的に間違えではなかったと思うが。
オリンピックを巡るごたごた、
コロナを巡るごたごた。
どうしてこんなに情けない国になってしまったのだろう?
というわけで、この記事の結論としては
今度の衆院選は投票しよう!
小山田さんは岡村さんの「成功と挫折」のギターとして参加されてましたね。
さてもう間近に控えた東京オリンピックですが、ここまでいろいろと問題が露出するとは思いませんでした。こういう重大イベントと厳かに、そして慎重に計画されるべきだと思うのですが…。
もうはじまったので、とりあえずは、選手に頑張ってほしいです。