90年代の音楽シーンは華やかだ。レジェンド級のアーティストがゴロゴロいる。バンドだけに絞っても、ミスチル、スピッツ、イエモン、ジュディマリ、GLAY、ビーズ、ZARD、ラルク、ルナシー、XJAPAN、ドリカム…
まだまだたくさんいる。
そんな超豪華なバンドの中でも一際異色な輝きを放っていたバンドがある。シャ乱Qだ。
シャ乱Qとは?
90年代を代表するバンドの一組だが、現在の若者はもしかしたらシャ乱Qの存在を知らないかもしれないので説明しよう。
シャ乱Qとは大阪出身のメンバー5人で構成されている。
- ヴォーカルのつんく、
- ドラムのまこと、
- ベースのしゅう、
- ギターのはたけ、
- キーボードのたいせい
の5人だ。
ド派手な衣装を身に纏い、大阪の兄ちゃん的な軽妙なトークで笑いを貪欲に取りに行く。いわゆる、記事冒頭に列挙したバンドたちとは毛並みが違う。
ミスチルもスピッツも基本笑いは取りにいかない。
というか、バンドマンって基本笑いを取りにいかない人種だ。
そして、シャ乱Qの最大の魅力は歌謡曲テイストの楽曲にある。日本のポピュラーミュージックは雑に言えば
70年代歌謡曲→80年代ニューミュージック→90年代J-POP
という流れで捉えることができる。
日本のポピュラーミュージックは洋楽的な要素を取り入れ、徐々に洋楽的濃度を濃くする過程の歴史といえる。そして、その一つに完成形として出来上がったのが90年代におけるJ-POP。
洋楽ではない。しかし、歌謡曲と比較すると洗練されている。このミクスチャー感は「J-POP」というワードでしか説明できない独自なジャンルだ。
シャ乱Qの音楽は完全に歌謡曲である。つまり90年代主流のJーPOPの路線とは違うところを走っている。
はっきりいってダサいのだ。
ダサいのになぜ売れたのか
吉川晃司が何かのインタビューで「どんなに洋楽が好きな奴でも、酒でべろべろに酔ってカラオケ行ったら、最終的にはシャ乱Qみたいなの歌うんだよね」というようなことを話していた記憶があるが、ホントその通りだと思う。
結局は、日本人って歌謡曲チックな音楽が歌っていて心地よいのだ。
歌っていて気持ち良いシャ乱Qの楽曲はカラオケ文化が急速に発展した90年代において、売れた要因の一つと言える。
一発屋のレッテル
シャ乱Qは94年に「上京物語」がスマッシュヒットし、「シングルベッド」「ズルい女」は2作連続でミリオンセラー。
大活躍だが、シャ乱Qに貼られたレッテルは一発屋だった
僕は当時中学1年生でシャ乱Qのファンだった。しかし、当時12歳の僕でさえシャ乱Qの一発屋感はひしひしと感じていた。
ちょっとでも、イマイチな曲をリリースすれば、すぐに過去の人になってしまうであろう状況のなかでも「いいわけ」や「涙の影」などの良曲を作り、善戦していたシャ乱Q。
しかし、つんくの髪型がややロン毛気味になった頃、つまり、シングルで言うところの「そんなもんだろう」「パワーソング」辺りで、シャ乱Qの勢いは急速に落ちたように思う。そして「都会のメロディ」「ためいき」で完全に輝きが鈍くなってきたように思う。
少ないお小遣いでシャ乱Qのシングルを「ズルい女」からずっと買っていた中学生の僕だが98年10月にリリースされた「愛 Just on my Love」を最後にシャ乱QのCDを購入することはなくなった。
そして、「愛 Just on my Love」がリリースされた僅か2か月後にベースのしゅうが未成年女性への暴行が発覚。しゅうはシャ乱Qを脱退。残ったメンバーはソロ活動へ。
ワイドショーで取材陣に囲まれ申し訳なさそうに謝罪するつんくを見て、中学生の僕はなんだかやるせない気持ちになったことを今でも覚えている。
現在は?
90年代という華やかな音楽シーンのなかでも一際派手に立ち振る舞ったシャ乱Q。
2000年代以降は「ラーメン大好き小池さんの唄」をリメイクしたり「シングルベッド」をセルフカバーしたりと、ちょくちょく活動はしていたが、オリジナルアルバムを引っ提げての本格的な活動というのは無く、「現役のバンド」感は悲しいかな感じられなかった
その後2014年、喉頭がんにより、つんくが声を失ったことにより、シャ乱Qの歴史に終止符が打たれた。